佐藤孝治
東洋太平洋ミドル級チャンピオン『佐藤幸治』と矢吹ジョーに憧れてボクシングを始めようとしては結局やらなかった腹癒せに当サイトを立ち上げました。
佐藤幸治は私の大学の先輩でもあり、憧れの人物でもあります。
しかし、最近の彼はブログの更新とトレーニングばかりでちっとも試合をしていない!!ついでにホームページの更新もサボっている!!
そんなんだからドメインが手放されて俺なんぞに使われとるんじゃボケ!!
佐藤孝治について
佐藤 幸治(さとう こうじ、男性、1980年12月11日 - )は、日本のプロボクサー。福島県相馬市生まれ、千葉県野田市出身。現OPBF東洋太平洋ミドル級王者(2度獲得)。帝拳ボクシングジム所属。西武台千葉高等学校、日本大学卒業。
人物
父義弘は日本サラダ株式会社の代表取締役を勤めている。4兄弟の次男で長男賢治は全日本ライトミドル級・ミドル級優勝を果たしプロ入りし、三男もアマチュア強豪として知られ、四男貴則もインターハイフェザー級、高校選抜フェザー級優勝を成し遂げている。4兄弟とも高校・大学が同じである。
2008年2月のグアムキャンプ中には、宿泊先の池に誤って転落し心肺停止状態となった少年の救助を行ない、心臓マッサージなどを施して命を救った。
来歴
アマチュア
中学3年生の時、兄の影響でボクシングを始める。高校3年時の1998年かながわ・ゆめ国体少年・インターハイ・高校選抜ライトウェルター級で優勝し、高校生では日本初のアジアジュニア大会に出場し銀メダルを獲得。
大学1年時の1999年全日本・くまもと未来国体成年ウェルター級優勝、2000年の2年時には全日本・とやま国体成年ライトミドル級優勝、2001年の3年時には全日本・新世紀・みやぎ国体成年ライトミドル級優勝、2002年4年時にはボクシング部のキャプテンを務めよさこい高知国体成年ライトミドル級優勝。
大学卒業後、自衛隊体育学校で2002年全日本ライトミドル級優勝、2003年NEW!!わかふじ国体・全日本ミドル級優勝と活躍し、全日本5連覇などを含む13冠を獲得。シドニーオリンピック・アテネオリンピックのアジア予選の日本代表になったが、敗退し出場は叶わずプロに転向する。
プロ
2004年
帝拳ボクシングジムに入門しB級ライセンスを取得。
2005年4月8日
ラスベガス・オーリンズで行われたプロデビュー戦では、フランシスコ・バルデスに初回KO勝利を収め、後に何度か経験したラスベガス合宿ではマイク・マッカラムの指導を受けた。同年9月25日には横浜アリーナのダブル世界戦のアンダーカードで李朱永に初回TKO勝利を収めた。
2006年
B:Tight!に参戦。12月9日の決勝ではWBA世界ミドル級王座に挑戦経験のある保住直孝を3RTKOで退けて優勝した。
2007年3月17日
プラディープ・シンが返上したため催されたOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦で、同級1位のアダム・ベラを9RTKOで退けプロ初タイトルを獲得した。同年8月4日、東洋同級4位のデービッド・コスワラを2RTKOで退けて初防衛に成功し、12月15日には東洋同級8位の小松学を3RKOで退け、2度目の防衛に成功した。翌2008年4月19日、東洋同級5位・インドネシア王者バンバン・ルサディを2RTKOで下し、3度目の防衛に成功。同年9月6日には日本同級王者江口啓二を初回TKOで下し、4度目の防衛に成功した。2009年1月3日、パシフィコ横浜のダブル世界戦のアンダーカードで前メキシコスーパーウェルター級王者でメキシコ同級2位のマルティン・アビラとノンタイトル10回戦を行い、2RKOで勝利した。
2009年4月25日
無敗のまま世界初挑戦。ドイツ・クレーフェルトでWBA世界ミドル級王者フェリックス・シュトルムに挑んだが、王者の巧みなジャブに制され7RTKO負けを喫した。プロ15戦目にして初黒星となった。6月5日、自身のブログで現役続行を表明した。
2009年12月13日
松下IMPホールで鈴木哲也の持つOPBF東洋太平洋ミドル級王座に同級2位として挑戦し、116-113、116-113、115-113の3-0で判定勝利を収め、返上した王座を再獲得した。翌2010年4月3日、韓国ミドル級王者でOPBF同級2位の李在明と対戦し、4Rに2度のダウンを奪って、この回TKO勝利で初防衛に成功。同年7月3日、OPBF8位で韓国スーパーウェルター級2位の尹仁栄と対戦し、3RKO勝利で2度目の防衛にも成功した。